韓国企業に勤める在野研究者ブログ

【韓国会社員の日常】【研究活動】【韓国語の勉強方法】などをお伝えします!!

【韓国カフェ巡り】ソウル三大アインシュペナーの一つ”アキビスト西村”/景福宮

こんにちは、shunkiです🤚

 

今回は韓国の景福宮駅近くにあるカフェを紹介します❗️

アキビスト西村

地下鉄3号線の景福宮駅から徒歩5分くらいのところにあるカフェ、アキビスト西村
 
 
◆店舗情報◆ 営業時間:毎日11:00~21:00
ラストオーダー:20:30まで
祝日はお休みするのかわかりませんが、基本的に毎日営業しているらしいです😆

 

外観はおしゃれなレストランと錯覚するくらい小綺麗な趣き

 

店内に入ってみると、緑を基調としたインテリアと花で装飾されていました

 

店内はテーブル席で埋め尽くされており、開放的な空間ではないけど、こまごまして可愛い感じがしました

 

ソウル三大アインシュペナー

アキビストはソウルにあるアインシュペナー専門店として有名なカフェなんです❗️

 
アインシュペナーとは?! アインシュペナーとは、深煎りのコーヒーの上に同量のホイップクリームが乗せられた飲み物。 カップではなくグラスで提供されます。 見た目が華やかで、コーヒーの苦みとホイップクリームの甘みを感じられるため、スイーツのような感覚で楽しめます。
 
そんなアインシュペナーを堪能しようと毎日多くの人が訪れます
 
そのため店内で飲もうとすると大抵待ち時間が発生します😂
 
まず店内で飲食をする場合、名簿に名前と電話番号を記入し、自分の番が回ってきたら店員さんが電話で呼んでくれるスタイル
 
ちなみに僕が訪れたときは40分ほど待たされました🙀
 
雨が降っていた日にも関わらず、アインシュペナーを飲もうとお店の外では待っている人がちらほらいました...
 
雨が燦々と降る蒸し暑い中、立ちっぱなしで待機するのは正直、辛かったです。。。
 
ですが、辛抱強く待って、ついに入店❗️
 
果たして待つだけの値打ちがある味だったのでしょうか❓

クリームが濃厚すぎてたまらない一品

今回はアインシュペナー(6000ウォン)とアイスアメリカーノ(5000ウォン)、フィナンシェ(2500ウォン)を注文☕️
 
 
コーヒー類以外にもティーや簡単なお茶菓子も販売していました🍪
 
 
 
サンプルの飾り方がいちいちおしゃれすぎる😻
 
一応メニューはこちらです▽
 
アインシュペナーの感想は、
 
とにかくクリームが濃厚で本当に美味しい一品でした😘
 
上に乗っかっているクリームは牧場で食べれる濃厚なソフトクリームに匹敵するぐらいの甘さです
 
しかもただ甘いだけではなく、下にある少し苦味があるカフェラテがうまく調和して、後味を引き締めてくれます❗️
 
クリームは適当にこってりしており、コーヒーにすぐに溶けることはなかったです
 
今回はアイスで注文したので、最後飲み終わるまでクリームは形を残したまま堪能することができました☕️
 
おまけで注文したフィナンシェも外の生地は少し焦げ目でカリッとしな柄も中はしっとりした食感
 
バター風味が口の中に広がります😚
 

待ち時間がもったいない人にはテイクアウトも可能!

 
基本的に入店してすぐにアインシュペナーを堪能することはほぼ不可能です😓
 
しかも店内で飲もうとしても1時間の制約があります😭
 
1時間であれば飲食は十分にできますが、友人や彼氏・彼女とゆっくりお話しするには短すぎますよね泣
 
でも実はアキビストではテイクアウトも可能なのです❗️
 
テイクアウトでアインシュペナーを注文するとプラスチックの容器で出てきます
 
次回からはテイクアウトで注文して、外のベンチとかに座って飲もうかなと考えています!!

 

以上、景福宮駅近くのカフェ、アキビストを紹介しました!!
 
駅から近く、ソウル3大アインシュペナーを堪能することができる魅力のカフェ☕️
 
待ち時間や店内に1時間しかいられないという制約がありますが、それでもまた訪れたいカフェでした😄
 
皆さんも景福宮にいらした際は、アインシュペナーの濃厚なクリームの味わいを堪能してみてください!
 
では👋

退勤時の呪いの挨拶「수고해(スゴヘ)」

韓国で働き始めて早くも3ヶ月が過ぎました
 
以前までは韓国のソウルや平澤に住んでいたが今の生活は一変しました
 
家の周りは山や畑、田んぼといった自然豊かな場所で落ち着いた環境で生活してます
 
以前からやりたかった映像関係の仕事に就いたものの、現在修行中です
 
映像編集は大学時代に専攻しましたが、だいぶ昔な経験なので、仕事としてはあまり歯が立ちません
 
日々韓国語が飛び交う職場で、一人試行錯誤しながら編集に没頭しております
 
 

退勤時の挨拶「수고해(スゴへ)

 
さて退勤時の韓国語の挨拶は色々とありますが、
 
年上の人が先に退勤するというシチュエーションで部下に挨拶する場合、「수고해(スゴへ)」という言葉をよく使います
 
これは「お疲れ!」という意味なのですが、まだ韓国に来て間もない頃は、呪いの言葉なのではないかと思っていました

 
この「수고(スゴ)」は漢字で書くと「受苦」と書きます
 
なので直訳すると「苦労を受けろ」と訳すことができます
 
たまに残業で職場に残っていると、局長や次長から、この所謂呪いの言葉をかけられるのです笑
 
もちろん韓国人は、「もっと苦労しろ」というニュアンスで言ってこないのですが、、、
 
どうも大学院で漢文を専攻していたせいで、ハングルを漢字に直すとどうなるのか、考える癖がついてしまいました
 
こんなことを考えるよりも、早く映像編集の技術を磨いていきたい今日この頃です
 
 

【真の勉強とは】朝鮮儒学者、退渓先生に学ぶ自己完成の勉強法とは?

 

私たちは何のために勉強するのでしょうか?
偏差値の高い大学に行くため?
世間的に有名な会社に就職するため?
会社で昇進するため?
現代社会で行われている勉強とは一言で「他人よりも早く、高く、強くなるための手段」に転落してしまいました。
このような勉強の姿は近代教育が成立する過程の中で伝統的な教育が断絶してしまった結果です。
近代教育は社会進化論を土台としながら適者生存の競争の中で行われ、時には国家主義の影響下で国家の発展のための手段に転落してしまいました。
結果的に勉強の真の意味が変色してしまいました。

勉強の意味を退渓先生に尋ねてみる

この現代社会の勉強から抜け出し「なぜ勉強するのか?」に対する答えを求めようとすることは、一見、時間の無駄な浪費であるかもしれません。
知識の量だけを問われる教育現場では知恵を見出すことはできません。
 
このような勉強の風潮を韓国の1000ウォン紙幣に描かれている退渓先生がご覧になられたら、何と言うでしょうか?

 

 
退渓先生(1502~1571)って誰?? 李氏朝鮮中期の儒学者。字は景浩(キョンホ)。李珥(栗谷)と並んで、朝鮮朱子学における二大儒と称される。 慶尚道安東(現在の大韓民国慶尚北道安東市)出身。11歳で論語学びはじめ、20歳頃に儒学の学問に没頭して病弱な身体で有名な学者になった。33歳で科挙に合格した後に中央や地方の官僚として活躍した。両班として文科及第ののち成均館の司成となるが、1545年の乙巳士禍で失脚した。その後、たび重なる出仕の命に応じて丹陽郡守となり、豊基郡守時代に朝鮮半島初の賜額書院、紹修書院などを実現して書院文化を築いた。成均館大司成などを歴任した。豊基郡(現在の慶尚北道栄州市)守時代には紹修書院を開いた。年には郷里に隠棲し、「陶山書院」を開き、儒教の研究と後進の育成に力を注いだ。(wikipedia 参照)
 
退渓先生は以下のように語ります。
 
"功利的な下心を少しでも持つならばそれは学問ではない”
 
先生にとって勉強とはどういうものだったのでしょうか?
 
まず儒教の教えの根幹ともいえる孔子の言葉に以下のようなものがあります。
 
"古之學者爲己, 今之學者爲人”(憲問篇)
古の学者は自身のために勉強をしたのに、今日の学者は他人のために勉強している
 
富貴や栄華のみを追求した勉強風潮は孔子が生きていた遥か昔にもありました。
特に退渓が生きていた朝鮮中期においては、勉強する目的は科挙試験の合格にありました。
大科に合格することは第一の目標であり、それが難しいのであれば、少なくとも小科に合格して進士や生員になり両班階級の地位を得ようとしました。
当時においても勉強は社会的地位と富を得るための手段でした。

儒教における勉強の種類

 
勉強には二つの種類があります。
 
  • 「爲人之學」:他人に見せびらかすための勉強
  • 「爲己之學」:自分を完成させるための勉強
 
前者は他人の視線を意識したり、「他人も行うから私も勉強する」といった、勉強の態度を指します。
後者は自己完成や家族のために行うための勉強態度を指します。
 
今日、日本の教育現場を見たとき、学生たちが楽しくもない辛い勉強を強いられています。
なぜならば、自分の問題ではなく他人によって規定され他人の視線を意識した勉強を半ば強要されています。
 
退渓先生を含め、当時の朝鮮儒学者が考える勉強の目的とは聖人になることでした。
そして聖人になることこそが至極の幸福があると考えていました。
反対に「爲人之學」を行う人は自我に関心がなく、人間とはどのような存在であり、どのように生きれば意味のある人生を生きることができるのかを悩んだりはしません。
その結果、自己のアイデンティティーの確立は難しくなります。
 
退渓先生は人生において官僚勤めやそこから来る名誉を遠ざけて生きてきました。
君主が何度も官職につくよう提案しましたが、これを拒否し、弟子たちの養成と学問探究に力を注ぎました。

退渓先生が考える勉強とは

退渓は勉強する際、次の二つを実践していきました。
 
  • 「居敬」:心を「敬」の状態におくこと
  • 「窮理」:世の中の理を悟る
 
まず「居敬」による勉強を通して心を落ち着かせます。
人間の心は休むことなく動いています。
外部から誘惑を受け、そこに受動的に反応します。
数多くの雑念が生まれます。
欲心や雑念を空っぽにし、静かで純粋な心、つまり「敬」の状態に戻らなくてはいけません。
そして対象に集中し、世の中の理を悟るようにします。
ただ多くを読み、知ることだけを目標として勉強をしてはいけません。
 
退渓は幼い宣祖にこのような教えを説いています。
 
孔子は「学んでそれについてよく考えなければ、本当に理解することはできない。反対に考えるばかりで、学ばなければ独断に陥る危険がある(為政篇)」とおっしゃいますが、
学びは、須く心で体験した後、自分のものになり真実なものになり、そうすればいい加減なものにならないものだ"

 

退渓は程度が過ぎた勉強を警戒しました。
早く成就しようとする欲心により、学びの楽しみや思索する深さを逃してしまうからです。
 
また退渓は次のように語ります。
 
"本を読むときは心が苦しい状況に至るようにしてはならず、多くを読むのは禁物である。文章の意味に従ってその味を楽しまなけてばならない。無理やり探究するのではなく、だからといって完全に見放すのでもなく、静かな心で現象を照らし見なければならない。むしろ少ない量を読んでそれをじっくり思索し、一つを知っても正確に理解して自分のものにしていくことが大切である。"
 
退渓先生の勉強とはつまり「自己完成のための勉強」でした。
本をたくさん読んだからと言って、そこで得た知識は人生の血と肉とはなりえません。静かな心を備えて文章の意味を味わっていき自己に照らし合わせていくことが重要なのです。
多くの自己啓発本では多読が推奨されていますが、読書量より読書の質も大事だと考えさせられます
 
参考文献↓

【韓国論考】反日・親日という概念に囚われるな。韓国人は親道徳的な国民である。

 

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昨今の日韓関係は依然として不和状態が続いている。私が初めて韓国に留学した2016年は、ろうそくデモにより文在寅政権が発足された。その後、自衛隊へのレーダー照射、ホワイト国除外による日本製品不買運動、元徴用工訴訟での大法院判決など、荒れ狂う渦中の中、私は韓国で2回目の留学生活を過ごした。ソウルの中心地に位置する光化門では日本を非難するデモを何回も見たこともある。日韓関係の悪化を肌で感じてきた。

 

そんな時期に相まって李栄薫氏は『反日種族主義』を日韓両国で出版し話題となった。私の大学の図書館でもベストセラーとして紹介されており、出版されて間もない頃はすぐに貸し出しできないほど、注目の図書であった。私は運よくこの本を手にすることができた。完読した後、「『反日種族主義』は日本で売られている嫌韓本と変わりがない」というのが正直な感想であった。李栄薫氏の論調に賛成・反対することはさておき、私はこの『反日種族主義』が嫌韓を裏付ける資料として利用され、さらなる嫌韓ムードの高調を予感していた。

 

反日」・「親日」という二項対立的観点

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 昨今の嫌韓ブームにより、日本人の韓国人をみる観点が二極化しているように思われる。一つは「反日」であり、もう一つは「親日」である。文在寅大統領を始めとした韓国政府は日本との信頼関係を破壊した「反日」の代表格である。そして一般の韓国人は反日教育を受けたのだから当然の如く「反日」だ。そして大多数の「反日」の中、李栄薫氏や日本に在住している一部の韓国人は、日本の保守系論客に共鳴する「親日」だ。このような認識を持っている人は多いのではないだろうか。

 

韓国の政治や歴史に関する話題を中心に、日本のネット上の掲示板やコメント欄を観察してみると、興味深い事象を発見することができる。それは「親日派」と認知された韓国人だけを贔屓する現象だ。現象の大体の構図は次のとおりだ。

 

一部のネットユーザーは日本との政治的約束を破る韓国に対して、「断韓」や「無韓心」を主張し、韓国との関係を断ち切ろうとする。その一方、日本の素晴らしさを称賛し、日本の保守系歴史認識に賛同する韓国人に対しては、「日本の宝である」や「日本人も見習わなければ!」などと褒め称える。

 

この事象はまさしく「反日」と「親日」という二項対立的な見方で韓国人を捉えてしまった結果である。そして「親日派」の韓国人だけを歓迎し、大多数の韓国人を排除しようとする。つまり一部のネットユーザーは自分に都合がいい韓国人だけを受け入れようとしているのだ。韓国人はどういう国民なのか?という問いに対して、果たしてこの「反日」と「親日」という概念は韓国人を理解するための正しい見方であるのだろうか?

 

韓国人は親道徳的な国民である 

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私が思うに韓国人は「反日」でもないし「親日」でもない。むしろ「親道徳」的な国民である。韓国人は一人ひとり自己の中に“道徳”観念を持っている。彼らはこの“道徳”観念を中心に物事の良し悪しを判断する。

 

小倉紀蔵氏は韓国を「道徳指向性国家」であると説明する。小倉氏によると、韓国は「人がいかに道徳的であるか、ということによって評価される」国であると言う。私も小倉氏の見解には十分に納得がいく。韓国では芸能人やスポーツ選手、さらには犯罪者であろうとも、皆、公に出て道徳を叫ぶ。スポーツの成績や歌のうまさだけでは評価されず、その人たちがどれほど親孝行したのか、孤児院や障害者のためにお金を寄付したのかなど、いかに「道徳的か」を国民に認めさせて、初めてスターになれるのだ。

 

この道徳的か否かという評価軸で日本の植民地時代を見るときに、ほとんどの韓国人は日本の統治を悪なるものと判断する。このような韓国人を我々日本人は熟考なしに「反日」とレッテルを張ってしまう。

 

しかし、ここで勘違いしてはいけないのは、韓国人は日本そのものを悪として見做していないということである。彼らがいつも問題視しているのはあくまで日本の帝国主義や韓国を侵略した過去の人物であり、日本人個人を恨んだりはしていない。自国の独立と主権を奪い、韓国人を皇民化させようとした日本帝国主義が道徳的に赦せないだけなのである。

 

むしろ現代韓国において日本や日本人は非常に好まれている。韓国に行けば日本料理屋が多く立ち並び、日本食はこよなく愛されている。また韓国のケーブルテレビ局には日本ドラマチャンネルがあり、日本で放映されているドラマをほぼ同時期に韓国で見ることができる。今はコロナパンデミックで海外の行き来が難しいが、2018年には約750万人の韓国人が訪日していた。

 

日本に親しみをもった韓国人が日本を非難することは別に不思議ではない。日本食日本製品・日本文化は好きだが、日本の植民地時代は赦せない韓国人は大勢いる。我々日本人からしたらご都合主義ではないかと思うかもしれない。しかし韓国人はあくまでも道徳的かどうかで判断するため、日帝時代は赦せないが、日本を好むことは十分可能なのである。

 

🌟韓国理解のための良本

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【韓国論考】なぜ韓国アイドルはファンに「愛しています」と言うのか?「サランヘヨ」の語源から考えてみる。

私は高校時代にKARAというK-popアイドルにハマり、ファンクラブに加入するほどの熱狂的なファンであった。当時は第2次韓流ブーム(2010年〜2012年ごろ)が到来し、KARA・少女時代・BIGBANG・2PMなどの韓国のアイドルグループが次々と日本メディアに本格進出した時期であった。彼らは毎朝のエンタメニュースでひっきりなしに紹介され、日本語での受け答えも十分にこなしていた。

 

しかしテレビで彼らを見るたびに違和感を覚えていた。それは日本のファンに向けての「愛しています」というフレーズだ。K-popアイドルの「愛しています」は出演最後、別れの挨拶の時に発せられる。なぜ、違和感に感じたのかというと、「愛する」という言葉はよく男女間の愛情表現で使われるものだと考えていたからだ。(男女という概念外で「愛」という言葉を使う場面はせいぜい「家族愛」や「自然愛」、「音楽愛」ぐらいであろう。)そんな私にとって、大好きなアイドルから「愛しています」と言われたことは、嬉しい反面、違和感を感じざるを得なかったのである。

 

韓国アイドルはなぜファンに「愛しています」と言うのか?

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結論を先に言ってしまうと、韓国語の「サランヘヨ」を日本語で「愛しています」と訳して発言してしまうからだ。韓国語をある程度勉強してみると、韓国の音楽番組やコンサートでアイドルたちが何を言っているのかわかるようになる。ホームグランドである韓国で彼らは、テレビの前にいるファンやコンサートに来てくれたファンに「サランヘヨ」と告白するのだ。そう、「サランヘヨ」はファンに感情を表現する話法なのである。そして彼らが現地で「サランヘヨ」と言っているように、日本でも「サランヘヨ」と言いたいのだが、これを「愛しています」と訳して告白してしまうのだ。

 

ではなぜ、「サランヘヨ」を「愛しています」と訳してしまうのだろうか?それは「サランヘヨ」の意味を表現した日本語が「愛しています」しかないからである。もちろんこの「サランヘヨ」を「愛しています」と訳しても不自然ではない。韓国でも大好きな恋人には「サランヘヨ」と言って愛の告白をする。ただ私が違和感を感じたようにアイドルが発する「サランヘヨ」には日本語の「愛している」の意味に当てはめることのできない、もっと広い意味があるのだ。

 

「サランヘヨ」の意味を語源から考える。

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「サランヘヨ(사랑해요)」は動詞で、基本形は「サランハダ(사랑하다)」である。

この「サランハダ(사랑하다)」を分解すると名詞「サラン」と「〜する」を意味する「하다」に分けることができる。

 

「サランヘヨ」の意味を知るためには「サラン」の語源に注目する必要がある。「サラン」の語源について諸説あるが、「思量(사량)」という単語から由来したという説がある。この「思量」とは色々と思いをめぐらし考えるといった精神的な行為を意味する。つまり「サラン」とは思いや考えをめぐらすことを語感として生まれた言葉であった。ある対象物に対して思い・考えることは、表現を言い換えると大切に思うということになる。

 

実際に韓国の国語辞典で「サラン」を引いてみると

  • ある事物や対象を大切にする心
  • 男女間の恋い慕う心
  • 相手を理解し助けようとする心

と解説されている。

 

要するに韓国語の「サラン」は男女の愛を超えた、人やものを大切に思うという心の現れであった。

 

ここで韓流アイドルの「愛しています」発言を考えてみる。彼らは当然のことながら、男女の愛を告白しているのではない。応援してくれるファンを大切に思っているからこそ「サランヘヨ」と言っているのだ。

 

そもそも韓国人は「サランヘヨ」を日常的によく使う。夫婦、恋人、家族に限らず、学校の先生や友達、先輩後輩、ありとあらゆる人間関係で「サランヘヨ」は使われるのである。なぜならば「サランヘヨ」はどんな人間関係であっても、その人を「大切に思っている」という感情表現であるからだ。

 

日本は感情を直接的に表現しない文化があるため「愛している」と言う時はごく稀である。そのため日本語の「愛している」の感覚で「サランヘヨ」を聞いてしまうと、どこか軽い感じを受けざるを得ない。しかし、「サランヘヨ」は決して軽い言葉ではない。「サランヘヨ」は韓国人の日常語であり、人と人との関係を大切にしている韓国人の国民性を表している。

 

【韓国文化】韓国語の挨拶は干渉の表れ?韓国語挨拶の面白い表現!

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韓国語を勉強している人もそうでない人も最初に覚える韓国語はなんでしょう?

 

ほぼ100%で「アンニョンハセヨ」だと思います。

 

他の言語でも同様なことが言えますが、最初に覚えるのは挨拶表現ですよね。

 

私たちは「アンニョンハセヨ」を「こんにちは」と覚えます。

(正確には「おはようございます」や「こんばんは」、「さようなら」も

「アンニョンハセヨ」一つで意味が通じます。)

 

しかし日本語を基準にして韓国語を覚えてしまうと、韓国語本来の意味やニュアンス(言葉などの微妙な意味合い、言外に表された話し手の意図)を十分に理解できない場合があります。

 

文化が違ければ、その国の言語のニュアンスも変わってきます。

 

いくら日本語と韓国語が似ていると言われても、完全に他言語で置き換えられないものもたくさんあります。

 

そこで今回は韓国語の挨拶表現から読み取れるニュアンスについて解説します。

 

안녕하세요(アンニョンハセヨ)

皆さんが知っている「アンニョンハセヨ」はハングルで「안녕하세요」と書きますが、この「안녕」は漢字で「安寧」と書きます。

 

つまり「アンニョンハセヨ」は相手に「安寧ですか?」と安否を尋ねることで、相手の事情に干渉する挨拶なのです。

 

>日本語の「おはようございます」は「早い時間ですね」、「こんにちは」は「昼ですね」、「こんばんは」は「夜ですね」という意味で、挨拶するときの状況を表現しています。

 

안녕히 주무셨어요?(アンニョンヒチュムショッソヨ)

「安寧」を使う挨拶表現で「안녕히 주무셨어요?」という挨拶があります。

「よく寝られましたか?」という意味です。

 

朝起きた時に両親や目上の人に「安寧に寝ることができましたか?」と尋ねる表現です。

 

寝ることにも干渉するのですね。

안녕히 가세요(アンニョンヒガセヨ)

さようならという表現に「안녕히 가세요」という挨拶があります。

*その場から立ち去る人への挨拶

 

「安寧」に行ってください、「つまり気をつけて行ってください」と、別れた後のことにも相手に干渉するのです。

 

새해 많이 받으세요セヘボッ マニパドゥセヨ」

新年の挨拶に「セヘボッ マニパドゥセヨ」という表現があります。

「あけましておめでとうございます」という意味です。

この「セヘボッ マニパドゥセヨ」を漢字表記で表すと「新年福を多く受けてください」と書くことができるのですが、ここでも相手の運勢にまで干渉しています。

 

>日本の「あけましておめでとうございます」は「新年だからおめでたい」という意味です。

 

먹었어요?(パッ モゴッソヨ?

韓国人の友達や知り合いがいる人は必ずといっても言われる挨拶があります。

それは「パッ モゴッソヨ?」という挨拶で、「ご飯食べましたか?」という意味です。

ご飯を食べたかどうか、尋ねる挨拶は韓国特有の表現だと言えます。

昔、朝鮮・韓国は食べるものに困り餓死する人が多かったことから、相手の安否を尋ねるために「パッ モゴッソヨ?」が挨拶として使われてきたと説明されます。

 

しかし、食べ物に困った国なんて、韓国以外にもたくさんありました。

実はこの「パッ モゴッソヨ?」には特別な背景があるのですが、詳しくは今後の記事で紹介します。

 

とりあえず、相手にご飯を食べたかどうかまで干渉するのが韓国なのです。

 

맛있게 드세요(マシッケトゥセヨ)

韓国特有の挨拶表現として「マシッケトゥセヨ」という挨拶があります。

食事する際、「美味しく食べてください」と挨拶をします。

よく食堂で食事がテーブルに運ばれる時、店員さんがお客さんに「マシッケトゥセヨ」と言います。また、ご飯を誰かと一緒に食べる時に「マシッケトゥセヨ」と言います。

 

「美味しい」や「まずい」など感じるのは個人の自由ですが、「美味しく食べてください」と言いながら、どうやって食べるか、食べ方にも干渉するのが韓国なのです。

 

수고하세요(スゴハセヨ)

 

これも韓国特有の表現ですが、「スゴハセヨ」という挨拶があります。

「苦労してください」という意味で、日本人の感覚で見ると、若干呪いの言葉…のように聞こえますね。

よくお店を出る際に、店員さんに「苦労してください」と挨拶します。

 

このように韓国ではどのように働くのか、個人の働きぶりに対しても干渉するのです。

 

 

以上、韓国語の挨拶表現から読み取れるニュアンスについて解説してきました。

ずばり、韓国語の挨拶には、相手の事情にグイグイ干渉するというニュアンスがありました。

日本では天気にまつわる挨拶が多いように、その時の状況を共有する特徴がありますが、韓国の挨拶には、相手の事情を知りたい!聞きたい!という心情の現れを読み取ることができます。

 

このような違いを知ることで、もっと韓国に興味を持ってもらえたらいいなと思います。